この記事をご覧いただきありがとうござます。このサイトは筆者がおすすめするCSコンテンツを紹介するブログサイトです。
今回紹介する作品は映画「ラ・ラ・ランド」です。この作品は2021年7月10日にザ・シネマで放送されます。この記事をご覧になって作品を見ていただけたらとても嬉しく思います。
「ラ・ラ・ランド」は2016年最高の映画の一つとして大好評でした。それは、脚本・監督のチャゼル、ゴズリングとストーンの演技、ジャスティン・ハーウィッツの映画音楽、ミュージカル・ナンバーなど、それぞれの評価がとても高かったところにあります。実際受賞している数がすごく、第74回ゴールデングローブ賞ではノミネートされた7部門すべてを獲得し、第70回英国アカデミー賞では11部門でノミネートを受け、6部門を受賞しています。第89回アカデミー賞では『タイタニック』(1997年)、『イヴの総て』(1950年)に並ぶ史上最多14ノミネート(13部門)を受け、監督賞、主演女優賞(エマ・ストーン)、撮影賞、作曲賞 、歌曲賞(『シティ・オブ・スターズ』City Of Stars)、美術賞の6部門を受賞しました。
日本でも公開当初から話題の映画となったため、映画を見ていなくてもタイトル名は聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。今回のこの映画について、「制作」、「キャスティング」、「撮影」の3つの視点でエピソードを紹介したいと思います。
映画「ラ・ラ・ランド」の概要とあらすじ
冒頭でこの映画が多く賞を受賞していると紹介しましたが、内容はどのようなものなのでしょうか。ここでは概要とあらすじを紹介したいと思います。
概要
『ラ・ラ・ランド』(英: La La Land)は、2016年に公開されたアメリカ合衆国のロマンティック・ミュージカル映画です。俳優志望とピアニストの恋愛を描いた映画で、脚本・監督はデミアン・チャゼル、主演はライアン・ゴズリングとエマ・ストーンが務めた。この映画のタイトルはロサンゼルスと「現実から遊離した精神状態」を意味しています。
監督のチャゼルは2010年に『ラ・ラ・ランド』の脚本を執筆したが、当時脚本に変更を加えずにプロジェクトに出資するスタジオを見つけることはできなかったそうです。2014年のチャゼルの映画『セッション』の商業的成功を受け、サミット・エンターテインメントが『ラ・ラ・ランド』の製作に同意しました。作品は2016年8月31日に第73回ヴェネツィア国際映画祭のオープニング作品としてワールド・プレミアを迎え、同年12月9日にはアメリカ合衆国で公開されました。3,000万ドルの製作予算に対し、世界で4億4,600万ドルの興行収入を得ています。
あらすじ
夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミアは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかり。ある日、ミアは場末の店で、あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブ(セバスチャン)、いつか自分の店を持ち、大好きなジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて二人は恋におち、互いの夢を応援し合う。しかし、セブが店の資金作りのために入ったバンドが成功したことから、二人の心はすれ違いはじめる・・・。
映画化への強い思いと妥協しない構成
映画「ラ・ラ・ランド」は様々な賞を受賞しヒットした作品です。なぜこれほどまでにヒットしたのか気になりますよね。私はヒットした理由に「制作」、「キャスティング」、「撮影」という3つのキーワードで着目してみました。
一つ目は「映画化への強い思いと妥協しない構成」が込められた制作にあります。
監督であるデミアン・チャゼルはドラム奏者でもあります。そのためなのかミュージカル映画の熱狂的なファンでもあります。2010年にチャゼルは「ラ・ラ・ランド」の脚本を書き上げていますが、当時最終目標である映画界は遠い存在でした。しかし、そのような状況でも映画化としての作品案を作り上げていきます。その案は、クラシックなミュージカルを踏襲するが、いつもうまくいく訳ではない日常生活に根差したものであり、ロサンゼルスに夢を持ってやってくる人々へ敬意を表するものとなっているそうです。
チャゼルは「マンハッタン」(1921年)や「これがロシヤだ」(1929年)など、ある一つの都市を称える1920年代のシティ・シンフォニー映画に感銘を受けています。その影響も案には反映されているように思います。
舞台設定では、ロサンゼルスをパリやサンフランシスコの魅力に合わせようとするのではなく、交通、スプロール現象、そして空など街の特徴に焦点を当てています。
この映画の様式はジャック・ドゥミの「シェルブールの雨傘」や「ロシュフォールの恋人たち」の影響を受けています。特に「ロシュフォールの恋人たち」ではダンスやジャズ関連、そしてそれ以外からも影響を受けています。他にも「踊るニューヨーク」、「雨に唄えば」、「ハンド・ワゴン」などハリウッドのクラシック映画をオマージュした映像が多数含まれています。
またチャゼルは、「ラ・ラ・ランド」ではショッピングセンターと高速道路だらけというロサンゼルスのイメージを膨らませながら西海岸に転居した自分自身の経験も織り込んでいます。
このように構成を進めて行く中で、チャゼルはフォーカス・フィーチャーズ社に予算100万ドルとして脚本を送ります。しかしフォーカス社は男性主人公をジャズ・ピアニストからロック・ミュージシャンに替える、オープニング曲を別の曲に差し替える、最後のほろ苦いシーンをカットするなど、チャゼルが作品の特色であり重要事項と考えていた部分の多くの変更を要求してきました。その結果大きな変更を望まなかったチャゼルは、このプロジェクト破棄して別の方法を探すことにしています。
このように自分の経験であったり、こだわりをもって作りこんだ作品であることがよく分かります。そのためプロジェクトを断るほど作品への思いも強くなり、妥協しない構成が出来上がったいったと思います。そして、そういったチャゼルの強い意志がこの映画のヒットした要因ともいえます。
キャスト陣の経験とスタッフの努力が詰まっている作品
映画がヒットした要因として監督の強い思いだけで叶うとは思えませんよね。実際スタッフが多く関わって初めて映画は作られます。
そこで次にキャスティングの視点ではどのような要因があったか紹介します。
この作品には俳優陣、スタッフの経験と努力が込められているところも魅力です。
チャゼルがこの脚本の基にしたミュージカル映画の制作を最初に企画した2014年6月では、主人公役にマイルズ・テラーとエマ・ワトソンが抜擢されていました。しかしエマ・ワトソンは当時2017年の映画「美女と野獣」の出演が決まっていたため降板することになります。そしてマイルズ・テラーも長期間にわたる交渉の結果降板しています。これによりチャゼルは登場人物の年齢を上げ、ロサンゼルスに来たばかりの若者ではなく、夢への挫折の経験を持つ役柄に変更しています。
その結果2015年に新しい俳優が主人公役の候補に挙がります。それが最終的に出演決定となったライアン・ゴズリングとエマ・ストーンです。
エマ・ストーン演じるミアは、女優を目指すがなかなか叶わず、オーディションの合間にロサンゼルスにあるワーナー・ブラザースの喫茶店でバリスタとして働きます。
エマ・ストーン自身は8歳児に「レ・ミゼラブル」を鑑賞してからのミュージカル・ファンで「突然歌いだすのがいつも夢だった」と語っています。好きな映画として1931年のチャーリー・チャップリンのロマンチック・コメディ「街の灯」を挙げています。子供のころチアリーダーに所属し、バレエも1年間だけ習っていました。15歳で女優を目指して母親と共にハリウッドへ転居したが、最初の1年はオーディションに落ち続けて苦労したそうです。たとえ役を得ても台詞は1行だけだったところなど、ミアの役は自身の経験を反映しおり、映画に活かされています。
ライアン・ゴズリングは主演のジャズ・ピアニスト役を演じていますが撮影までの3ヶ月間に渡りピアノの特訓を行い、全てのシーンを実際に弾いています。こういった俳優陣の経験や努力というのが、この作品では分かりやすく伝わってきます。
そしてスタッフの努力も見逃せません。ミュージカルダンスの振付はマンディ・ムーアが担当しています。彼女はダンスの技術よりも感情を重要視しており、ストーンはプリウスのシーンでそれがカギとなったと語っています。
他にもチャゼルは役者およびスタッフのイメージを膨らませるために毎週金曜日の夜、「シェルブールの雨傘」、「雨に唄えば」、「トップ・ハット」、「ブギーナイツ」など影響を受けたクラシック映画の上映会を行ったそうです。
このように役と俳優が見事にマッチすることによって、より一層演技に磨きがかかっていると思います。そしてさらに加えて俳優・スタッフの努力がより効果を大きくしたことで、この映画の魅力が大きくなっていったのだと思います。ここだけ見てもこの作品の魅力が十分詰まっていると思います。
徹底してこだわり抜いた撮影舞台
監督の強い意志と俳優・スタッフの努力で十分この作品の魅力が伝わって来たのではないでしょうか。しかし、この他に撮影でも工夫を凝らしています。
チャゼルは撮影技法や撮影場所にもこだわりを持っていました。ここではそういった撮影にまつわるエピソードを紹介します。
チャゼルは1930年代のアステア&ロジャース作品のように、頭からつま先まで映し、カットなしのシングル・テイクで撮影することを望んでいました。また「いつも上天気」などの1950年代のミュージカル映画のようにワイドスクリーンのシネマスコープを望んでいました。そのためデジタルではなくワイドスクリーンのフォーマットでパナビジョンの撮影機材を使用したフィルム撮影を行っています。
また、チャゼルはロサンゼルスが非現実的な夢を持った人々によって作り上げられた詩的な街であるとして主な撮影をロサンゼルスで行なうことを望みました。2015年8月10日、本作の主要撮影がロサンゼルスで始まり、ダウンタウン・トロリー、ハリウッド・ヒルズの住宅街、エンジェルズ・フライト、コロラド・ストリート橋、サウス・パサデナ、グランド・セントラル・マーケット、ハモーサ・ビーチ、シャトー・マーモント・ホテル、ワッツ・タワーなどロサンゼルス市内60か所以上をワン・テイクで撮影ています。そして40日間を撮影にかけ、2015年9月中旬に撮影が終了しました。
その中にもこだわっている部分があります。高速道路上で「Another Day of Sun」を歌い踊る冒頭のシーンが最初に撮影され、スタジオ撮影ではなく、実際にロサンゼルス南部のジャッジ・ハリー・プレガーソンICの一部を借り切って撮影されました。また2日間かけ、100名のダンサーが出演して撮影が行われています。チャゼルは「この1シーンだけでロサンゼルスがいかに広大であるかを表現したかった」と言っています。
当初地面の高さの高速道路での撮影が計画されていたが、100フィート(30m)の高さに弧を描くインターチェンジでの撮影に変更しました。プロダクション・デザイナーのデヴィッド・ワスコは「誰か落ちて死ぬのではないかと心配した」と語っています。チャゼルは『オズの魔法使』(1939年)でエメラルド・シティに向かう黄色のレンガ道をイメージしていたそうです。
他にも、チャゼルは1901年創立のトロリーであるエンジェルス・フライトなど、まだ残る、あるいは失われゆく「古き良きロサンゼルス」を探しました。その中で修復および再開を目指していたが叶わず、2013年に脱線後廃止されたケーブルカーがありました。そこを映画製作チームは1日だけの使用許可を得ることができ、撮影の計画を立てました。
このように撮影の機材や技法、舞台設定まで細部にわたってチャゼルのこだわりが見られます。これがさらに「ラ・ラ・ランド」という作品の魅力につながっていると思います。
トピック5:まとめ
今回は7月10日にザ・シネマで放送される映画「ラ・ラ・ランド」を紹介しました。長文になってしまうほど魅力が詰まった作品だと思います。特に、
- 映画化に向けたチャゼル監督の強い思いと構成
- 俳優の経験やスタッフの努力が最大限活かされたキャスティング
- 徹底的にこだわった撮影技法
といったところがこの映画がヒットした魅力だと思います。
最近、挑戦し続けてきたことに挫折を感じている人におすすめです。挑戦することが必ず成功するとは限りません。しかし、振り返った時に何かを得ているかもしれません。そういったことを考えるきっかけをくれる映画だと私は思います。
この映画を見た方はその時の感想などコメントいただけると嬉しいです。まだ見たことがない方は、この機会にぜひ見てみてください。
コメント